2008年03月16日

商店で略奪や焼き打ちも

この様子テレビで大きく取り上げられていました。
本当に悲しいニュースですね。


<チベット>あちこちに治安部隊…

中国チベット自治区への空の玄関口である成都の空港には、区都ラサの暴動から空路逃れてきた外国人らがあふれ、暴動の生々しい様子を証言した。

 「きのうホテルにいた時、すごく大きな音を聞いた。現場は見ていないが、自動小銃の音だったと思う。催涙弾も撃たれたようで、外にいた人が苦しそうな顔をしていた」。ラサから仲間と成都に逃れた米国ボランティア団体の女性はこう証言する。

 女性によると大規模暴動が起きた、街中に数十台の装甲車が繰り出し、治安部隊がいたるところに配置されていた。あちこちで乗用車が焼かれ、商店では略奪や焼き打ちも見られた。主要道路のいたる場所で燃え続ける乗用車から黒煙が上がり、戦場のような風景だったという。


 また、ラサ中心部にある寺院などは閉鎖され、市民らは外出を禁止されたという。
「前日とは一転して街中は静かだった。あらゆる道路に治安部隊が配置され、厳重に警戒していた」と証言。治安当局は暴動の拡大をひとまず阻止したようだ。


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2008年01月23日

宗教の難しさ


こんなこと習っていなかったよ。
教えてもらえなかったこと知ると少し得した気分ですね

1970年代頃から世界的な宗教回帰の潮流や、あるいはイスラム世界における近代化の負の側面としての貧富の格差の拡大、(イスラム主義者が主張する所の)イスラームの理想とする価値観の後退といった現象に対する反発として、「イスラーム」を題目として行われた政治、社会、文化的な運動が広範にみられるようになるが、イスラーム主義はそれらの動きのうちの政治的なものとして興隆した。1970年代以来、実際にいくつかの国ではイスラーム主義はイスラーム国家の実現を目指す新政権の樹立を実現したが、多くの国々では政府による抑圧を受けた。1980年代後半に至って共産主義体制の崩壊による旧ソ連圏のイスラーム世界への復帰、パレスチナ問題、ボスニア紛争の混迷や湾岸戦争による欧米勢力の中東への進出といった事象に触発されてイスラーム主義は全世界へ拡散し続けている。特に1990年代以降は、パレスチナ問題や湾岸戦争において最も顕著に見られたような、西洋主導の国際社会がムスリムの国々を抑圧していると反感を抱くイスラーム世界の不満を背景に西洋に対する強烈な反発を生み、反米運動としての様相も呈している。また他宗教に対する攻撃的態度でも知られている。

非イスラム圏を中心にイスラーム主義に該当するような政治運動を指して「原理主義」という言葉が1980年代以来非常に広範に用いられ、日本でもマスコミなどを通じて定着している。しかしながら、親イスラム的な研究者の間では、そもそもイスラームに原理主義という概念を適用することに対しては問題があるという主張が展開され、また「原理主義」という言葉が、イスラーム主義の中でも特に先鋭的、戦闘的なグループを指す語として使われてきた事情があるために、かえってイスラーム主義の実態を見えにくくしている面があるという主張から、イスラーム原理主義という枠の安易な使用は彼等親イスラーム的学者の間では好まれない。しかしこれに対して批判的な研究者も多く、親イスラム的立場に立つか否かで使用する用語が異なるという事態になっている。又2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降は、イスラーム主義運動に対する関心の高まりを反映し、「イスラーム復興」全体を指す概念としての「イスラーム原理主義」のうちから特にイスラーム主義運動の中の先鋭的、戦闘的なグループを選別して指す語として、「イスラーム原理主義過激派」という言葉が選択されることも増えている。

また、英語ではいわゆる「イスラーム原理主義過激派」を指す概念として Militant Islam という語が使われることがあり、対応する日本語として「戦闘的イスラーム」という語も見られる。中央アジアやカフカスなどではイスラーム主義に対するレッテルとしてワッハーブ派が用いられることもあり、同様に英語ではしばしばワッハーブ派という括りが無批判に使用されるが、日本語では稀である。

なお、イスラーム主義系の組織で、政治的に先鋭的であり、主張を実現させるための行動としてテロリズムに訴えるものは「イスラーム・テロリズム」と呼ばれ、宗教テロの一種とみなされることがある。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月13日

漢民族の変化

このような歴史を経て、いまのアジアがあるんですね。
本当に勉強になりました。

漢民族の大膨張
いわゆる漢民族と現在カテゴライズできる人口は、長らく中国内地から大きく移動することはなく、国家の繁栄と戦乱に伴って同領域内で大きく増減を繰り返すにとどまった。これは清代中期までは江南・湖広の生産力にまだまだ人口を支える余力があったこと、明・清王朝は長らく海禁政策を採用したこととが大きな理由としてあげられる。加えて異民族王朝である清朝は満州(現在の中国東北部)・内モンゴル・新疆などへの漢族の移動まで禁じ、意識して漢民族の膨張を抑止しようとした。


19世紀以降の漢民族
ところが清代中期以降状況が大きく変化する。領域内の平穏と安定した経済によって増え続けていた人口は、イギリスなどの政策転換による銀の流入の減少(阿片戦争参照)、18世紀後半以降の全地球単位の寒冷化(異説もある)に伴う生産力の低下、さらに太平天国の乱などの清末の一連の反乱により支えきれなくなった。ついに19世紀後半には人口爆発とも呼べる事態が発生、大量の漢民族の周辺地域への拡散移動が始まった。河北・山東など華北の人口は内モンゴル・満州へ移動し、華南の人口は東南アジア各地を中心に一部は日本・朝鮮、さらにはアメリカ・オーストラリアなどに移動した。このうち内モンゴル・満州は中国内地との隣接区域であり、圧倒的な漢民族の人口圧によって事実上内地化した。例外的に、韓国のチャイナタウンについては、20世紀半ばから後半期にかけて衰退し、消滅してしまった。理由として朴正煕時代などの強い民族主義政策などがあげられるが、極めて特異な例として注目される。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年09月11日

和泉元彌夫妻別居?

和泉夫妻もとうとう家庭崩壊の危機のようですね。あの一族の中で、晶紀さんは計り知れない辛抱をしてきたのではないかと同情してしまいます。和泉家はここ数年災い続きで良いニュースを聞きませんね。そもそもの元凶はお母さんでは・・・?


『参照記事』

狂言師和泉元彌(33)と妻の晶紀さん(39)が別居していることが10日、分かった。今月に入って晶紀さんが子供を連れて実家に戻り、長女(5)は地方公演をキャンセルした。元彌の母節子さん(65)はこの日「(晶紀夫人の)母の手術で実家に帰っているだけ」と答えたが、先週末の深夜、元彌が晶紀さんの実家付近をうろうろしている姿が目撃されている。「看病の里帰り」にしては不自然な要素が多く、離婚危機の様相を呈してきた。
 今月に入り、元彌の自宅から晶紀さんと長女、長男(3)の姿が消え、長女は新学期になっても幼稚園を欠席している。また、長女は8日の岐阜公演も出演をキャンセルした。公演の主催者には「風邪で発熱したため」と説明していた。
 この日、都内の自宅前で取材に応じた節子さんと姉で狂言師の祥子は、晶紀さんの留守の理由を「(晶紀さんの)お母さんが手術をするので実家に帰っただけ。こちらも了解の上です」と話した。長女の公演のキャンセルについては「小さい子供なので、母親から離せないと判断した」と、主催者への説明とは別の理由を答えた。
 理由の食い違いに加え、元彌の不可解な行動も晶紀さんの実家付近で目撃されている。先週末の深夜、晶紀さんの実家近辺をうろうろする元彌の姿が目撃されていた。目撃者は「時間が時間だっただけに、一目で元彌さんとは信じられなかった」と話す。この深夜訪問についても、祥子は「(長女の)公演出演の最終決定が、夜遅くになったのではないか」としているが、目撃者によると落ち着きがない様子だったという。晶紀さんと会えずに門前払いされた可能性もある。
 晶紀さんの実家と親交のある人物は、晶紀さんの母親の病気について「ちょっと前まで買い物に来ていたし、そんなに(大きな)病気とは聞いていない」と証言。長女が幼稚園を長期休暇し、舞台をキャンセルし、1週間も元彌を残して家を空けるのは、離婚も覚悟の上の里帰りとみられる。
 元彌は9月中旬から、中国公演を行う予定で、同公演も長女の初海外公演として話題になっていた。晶紀さんがこの時期になっても戻らず、長女が同公演の出演を再びキャンセルすれば、離婚は決定的な状況になりそうだ。
 2人は01年に熱愛が発覚し、翌年ゴールインした。だが、結婚会見では、元彌の母親節子さんが「はっきりいって不安でございます。嫁いで10年、20年はものを言わないで」とくぎを刺し周囲を驚かせた。姑(しゅうとめ)と小じゅうとがいる新婚生活は、茨(いばら)の道だったようだ。
 結婚直後には、元彌のドタキャンやダブルブッキング問題が取りざたされ、CMが打ち切られるなどの騒動に発展。最近では、節子さんの都内の自宅が東京国税局から差し押さえられ、金銭トラブルも報じられた。晶紀さんは、これまでの報道に「黙して語らず」の姿勢を貫いている。離婚となれば親権など多くの問題もあり、今後の2人の動向が注目される。